2019年8月26日(月)

話は昨年に遡ります。昨年の滞在中に久しぶりにGregから連絡があり、ギグをセットするか何かで共演できないかってやりとりがあったんですが、あまりに急すぎてスケジュールが合わず。
私が長く滞在するならいろいろやりたいことがあったようなんですが、滞在を延ばすなんてできないし。。。
その場は「次来る時はスケジュールを合わせましょう」ってことで(私もあまり本気にしてなかったのもありw)流れたんですが、ただその後も何かと連絡だけは来ていて、10月末にはサセックスとかいうところに引っ越して、レコーディング機材も揃ってるし、次に来た時は招待してくれるっていうことになり。
この頃は彼自身も演奏の仕事があったり、ギグをやる会場を探してみたり、どんな音楽をやるか考えたり、オプションとしてアパレルメーカーをスポンサーにつけることも考えていたり(昔モデルの写真撮ったりしてたみたいで、そういうつながりがあるらしく)、、、っていう連絡がちょいちょい来るので、次はいつもと違う経験ができるかも、とやや他力本願な期待をしていました。
私のほうは、8月に始めた派遣の仕事が3月末までの短期契約だったので、終わったら次の仕事を決める前に今年の春は早めに行こうかと目論んでいました。
Gregも、春ならもうスタジオもセットアップできてるだろうし、ってその時は言ってたんですけどね。。。
雲行きが怪しくなってきたのはまさにその3月頃。想像以上に寒い場所だったらしく、雪深くて準備が全然進まない、と。7月くらいならいいかもって話に変わってきて。
仕方なく私も夏に行くってことで了承して、新たに5月から再び短期の仕事をしてました。
そうこうしてるうち、今度は私が7月末と8月頭の演奏仕事が入ってきたので8月以降に延ばしてもらうことになり。
おそらく、Gregも5月末くらいには再び引っ越すことを考え始めていたのだと思われますが、機材を全部置くにはちょっと家が狭いとか、電気的な問題があるとかインターネットが遅いとか言ってました。
そして6月末、そろそろ8月のいつなら行ってもいいか聞くと、8月にテナフライに引っ越すことにした、という報告を受けたのでした。
しかし、7月末近くなっても日程の返事が来なくて、8月から燃油代が上がっちゃうし9月末にはライブが立て続くから中旬には日本に戻っていたかったので、9月1日からなら行っても大丈夫か了承を取り、8月最後の1週間をマンハッタンで過ごしてから9月にテナフライに移動する、という計画に落ち着いたのでした。
今思えば、そこまでして今年わざわざ都合合わせることもなかった、あるいはわざわざ3週間にしなくてもよかったかな、っていう気がしていますが。。。

そんなわけで、今年は自分だけの都合で決められなかったので、飛行機代は結構高くつきました。しかも夏休みとかぶってるので、混んでてなかなかいい条件のを取るのは難しかったです。
結局昨年同様、デルタのミネアポリス乗り継ぎ便で羽田発着、現地の空港は往復で違うという。で、12万弱。
そして宿のほうはまたAirbnbで探して、8月中の7泊をなんとか3万内に押さえました。
偶然にも、昨年泊まったところと同じ駅で、別のお宅です。まぁ、写真の印象ではそんなに綺麗じゃないかもなという感じでしたが、とにかく駅近なので金額と安全を優先しました。
乗り換えルートの選択肢が多くてマンハッタンに行くのも便利な場所ですしね。

今年の出発前のもう1つの問題は、電話をどうするか、でした。
昨年まで使ってた(正確には昨年すでに使えませんでしたが)アメリカ電話はもう使えないので、いろいろ検討した結果、アメリカSIMを買って1ヶ月だけの契約をして、自分のiPhoneのSIMを入れ替えることに。
SIM自体はキャンペーンで1ドルで購入。29ドルでデータも使い放題!(ただし高速は2GBまでだったので、後で変更を余儀なくされることになるとは。。。)
使用中は日本の携帯電話への着信の有無が全くわからないということを除けば、これがベストな方法かなという感じでした。

さて、前置きが長くなりましたが、出発日当日、行く前にまだやらねばならぬことがありました。それは、立川市長選挙の不在者投票。
1週間前に、来週市長選挙があるって知り、不在者投票のできるのが26日からだったので、出発前に行くしか方法がなく。
しかも会場は有無を言わさず市役所のみ。朝早くから往きは頑張って歩いて行きましたが、残暑厳しく汗だくになっちゃったので、帰りはバスに乗っちゃいました。
なんとか任務終了しましたが、これ出発が1日早かったら棄権するしかない、ってことになってました。意外と海外への長期旅行者のことは考慮されてない気がします。

ゆっくりする間もなく、15時25分羽田発に乗るべく、11時半前の南武線で出発。スーツケース引きずって駅に着くまでに再び汗だくでした。
空港に着いてからお昼にしましたが、結局また昨年と同じモスで同じものを食べました。
ただし、器が食器じゃなくて紙に変わってて、おしゃれ感なくなってました。。。
そういえば、今年は往きのミネアポリスのみ満席で、事前に通路側の座席確保ができず、早めに行ったんですが、搭乗直前まで席はわからないと言われ。結局真ん中の席になってしまいました。
でも、アレサの『Amazing Grace』が早速観れたり(だからデルタ好き!)、先日富山で演奏したばかりのLizz Wrightのアルバムやマービンのベストなど聴けたりして、なかなか快適に過ごせました。
機内食も、相変わらず量は多いけどわりとおいしかったし。

乗り継ぎのミネアポリスは見事に雨でしたが、ニューヨーク着いた時は降ってなかったのでセーフ(笑)。
ただし、この雨のせいでバゲッジクレームから出てきたスーツケースは、中の荷物に浸みるほどずぶ濡れでした。
乗り継ぎ時間は2時間ほどあったんですが、相変わらず長蛇の列&要領の悪い入国審査で1時間半かかり、結構焦りました。
運良く?私の乗る便は15分くらい遅れて出発することになっていて、ギリギリな感じではなかったですが。
遅れて出発したわりには、ほぼ定刻にJFKに着きました。

ここからはタクシーでChurch Ave.にあるお宅へ。20時半くらいには到着。
今回はホストファミリーがずっと誰かしら在宅しているという状況らしく、言われた通りにまずは外門にあるブザーを押して門を開けてもらい、中に2つあるマンションの左側のほうの建物に向かい、ここで再び部屋番号のブザーを押してドアを開けてもらい。
そしてエレベーターで5階に上がるように指示があったんですが、エレベーターがみつからず。もう一度入口のほうまで戻ってみたり、あちこちウロウロしてみたりしてたんですが。
階段で上る覚悟をしてたら、なかなか私が来ないもんで、ホストのJさん(一応今回はイニシャル表記にしておきます)が迎えに来てくれました。
写真は左がエレベーター内部、右が外側から見たところですが、一度はここかなと思ってドアノブ回したけど開かなかったので、管理室とかかなと判断しちゃってました。
仕組みがよくわからないですが、ボタンを押して呼んだ後、到着するまではドアは開かないので(そりゃそうか)、何もしない状態でまずドアを開こうとしても無駄だったようです。
今回のホストは4人家族のお宅でした。到着した日にはゲストが1人いたようですが、明日の早朝帰るらしく、その後は私1人だけになるとのことでした。
案内された部屋はとにかく無駄に(笑)広かったですが、まず間接照明が部屋の入口付近に1つあるだけだったので、部屋の奥にあるテーブルでPCいじる時などは暗くてちょっと不便でした。
そして初の家中すべて土足。部屋専用の冷蔵庫とエアコンがあったのは◎。ですが、ベッドとベッドカバーはあるものの布団も枕もなかったので、用意してくれてたバスタオルをタオルケットとして布団代わりに使ってました。
あと、渡された鍵は、建物自体の入口(外門とエントランス用)のみで、お家の玄関用は渡されなかったため、深夜だろうとなんだろうとブサーを押して誰かに開けてもらう、というシステムでした。
Jさんは親切だし「問題ない」って言ってくれてましたが、実際のところは迷惑だっただろうなと思います。
そしてJさん以外の家族の人達はそんなに関わりを持とうとはせず、フレンドリーってわけではありませんでした。会えば挨拶くらいはするし、Jさんが不在の時は出てきて対応はしてくれてましたが、基本無関心、的な。
あと、建物内にランドリーはあるそうですが、利用時間が朝の8時から夕方17時までで、カード借りなきゃいけないのも面倒なので、外に行くことに決めました。

とまぁ一通り説明を聞いて、荷物を整理したら楽器持って21時半頃外出。早速深夜帰りになることをお断りして。。。
昨年と同じChurch Ave.駅でしたが、最寄りの改札は逆側で1ブロックの近さでした。
おそらくこの時間はQラインしか走ってないと思われ、素直にすぐ来た電車に乗りました。が、車内アナウンスで「Available B」って言われて、Prospect Parkで反射的に降りそうになりました(途中で抜かされるパターンかなと思い)。
でも、同じ車両にいた若者2人組が「Bだって」って言ってるのを聞いて、その様子から夜間だろうとずっと同じ自動アナウンスが流れてるんだろうな、と察知しました。アブナイ、アブナイ。
Atlantic Ave.駅でDラインに乗り換えて、W.4St.-Washington Sq.駅へ。
本日に限りブルースセッションはRed LionではなくAle Houseというお店でやっているらしいですが、時間も時間だし呼ばれるわけがないと思ったので、まずは腹ごしらえ。すんごい久々にPapaya Dogに行きました。

パパッと食事を済ませた後(ダジャレではない)、この辺りは道路が碁盤の目じゃないので若干迷いましたがAle Houseに到着。
入口でちょうど帰るところのGordonさんに会いました。しゃべってたらショーンさんも出てきて「水曜にAmerican Trashで!」ってことに(別情報で、水曜じゃなくて土曜かもなんて話が後から出てきて、その後混乱しましたが)。
とりあえず顔だけ出しに地下の会場へ。サインアップはとくにせず、最後の回と思われるセットを40分くらい見ただけでした。
ここではあとChuckyとRigelに会えました。Davidさんはずっとステージ上だったので、私からは見えてたけど、気づいてはもらえず。
今年はこの後日曜日にはテナフライに移動しちゃってたので、月曜のブルースジャムの参加はなしのまま終わることになりました。まさかそんなに不便な場所だと思ってなかったので。まぁ、その話は追々。

23時半過ぎにBitter Endへ移動。本日はFrostyとGeorgeさんが不在。
今回、やぼくんが夏からニューヨークに来ていて、この1週間はかぶっていたので早速こちらで会うことができました。
あと、しんやさんも来てました(残念ながら今回日曜のブルックリンのジャムには行けず、しんやさんにはここで会ったのみでした)。
2人はわりと早くに呼ばれたんですが、今日はボーカルの人が多いうえに管の学生の集団かなんかも来てて、私はなかなか呼ばれず。
ようやくピアノボーカルの人の時に呼ばれたけど、コードが変則的なもんで1コーラスじゃ覚えられず、なのにトップバッターでソロ回ってきて。
勝手に12小節のブルース進行に変えさせてもらっちゃいました(笑)。
で、ほんとはまだステイだったんだけど次に呼ばれた人がD.Iが必要だったもんで、ステージを下りることに。
また戻ってって言われたけど、その後呼ばれることなく終わりました。
実は、プリアンプあるなら使いなよ、って昨年言われてたので今回はBitter Endに持ってきてましたが、まさかの電池切れでランプ点かず、発覚したのがBitter Endでよかったです。D.Iだけでなんとかしてくれるので。
とはいえ、りょうじさんはもうここにはいないらしいんですけどね。。。
ジャム終了後、2時過ぎまでだいぶ長いことやぼくん達とおしゃべり。
もう1人、語学留学中のギターの日本人女子がいたんですが、やぼくんが脱水症状で倒れた時に居合わせて助けてもらった話とか、情報交換やら積もる話もいろいろあり。
彼らはその後もマックでご飯食べてから帰るらしかったですが、私は宿の人に悪いしこんな時間に食事は厳しいので、切り上げてきました。

再びW.4St.-Washington Sq.駅からDラインで帰ることに。運良く6分待ちで済んで、DeKalb Ave.で乗り換えられたのでそこでQラインを待って、こちらもわりとすんなり来たので4時頃帰宅。
家のブザーを鳴らすとJさんは起きてたのかそれとも寝ててもすぐ起きれるのか、、、すぐに玄関を開けてくれました。その後も、どんなに遅く帰っても、誰も起きてこなくて玄関で待ちぼうけ、なんてことは一度もありませんでした。
私だったら、鍵を渡しちゃって気にせず寝れたほうがいいと思うんですが。。。
初日から5時過ぎに就寝。