2011年5月2日(月)
まず初めに。
今年ほど、決めるのに勇気と覚悟のいる年はありませんでした。
3月11日の震災から気持ちが全く立ち直ってはいなかったし、昨年までは“知らぬが仏”だったいろんなことも知ったうえで、何が起こるかわからないニューヨークへ乗り込んだのですから。
まぁ、何が起こるかわからないのは日本も同じなので、“逃げた”といえば逃げたのかもしれません。
心配したり疑ったりし始めたらキリがないし、怯えて何もしなかったら人生無駄にしてしまうので、巻き込まれようがどうしようがとにかく音楽を楽しみに例年通り行く、と決めたのでした。
今年は初のデルタ航空(172便)。出発もいつもより早い時間でした。
そして“地震の影響”(ほんとかな?)ってことで成田エクスプレスがなぜか昼間の時間帯だけ運休しており、これまた初のスカイライナー。
日暮里まで出るのは多少面倒でしたが、スカイライナーに乗車してる時間は結構短い気がします。
ちょうどお昼時だったので、駅弁買って車内で食べたら、ちょうどいい感じで着いちゃいました。
今回は両親も出かけてる最中だったので、見送りはなし。時間に余裕があったので展望デッキとか行ってみたりしました。
デルタ航空は個人用モニターが座席にないらしいことを直前に知ったのですが、その通りでした。
事前に座席指定ができたので希望通り通路側だったのはよかったのですが、退屈だったので食事以外はほとんど寝てました。
しかしお隣の日本人女性2人組はよくしゃべってたなぁ。。。にもかかわらず爆睡しておりました。
ずっと寝てると、意外と早く時間が経つような気がします。それともこの長時間移動に慣れてきたのかな?
午後3時過ぎに到着。・・・はしたものの、飛行機の外に出るのといい、入国審査といい、バゲッジクレームから外へ出る時といい(なぜここで?)、各場所で行列できて流れが悪くて、解放されるまでに1時間半くらいかかりました。
エアトレインに乗るのにいつもの場所と違うなと思ったら、デルタ空港だから当然ながらAAの時とはターミナルが違うんですね。
標識を頼りになんとかたどり着きましたが、上り坂あるし、ちょっと遠かった。
行き先間違っちゃ困ると思って律義にJamaica Center行きが来るまで待ちましたが、後で考えたら大回りしたような気もします。反対回りで行けたのかも。
Jamaica Centerに到着した時、クイーンズの街並みを撮ってみましたが、実は向こうのほうに見える不気味な雲が気になったのでした。本国でも豪快にやってるな、、、と。
さてここからはもう大丈夫のはずだったんですが。
いつも通り券売機の後ろの売店でエアトレイン用とMTAの7days passの2枚を購入し。
ところが、ここで自動改札で通すのはエアトレインの分だけでよかったんですが、日本式に「ここが出口+入口」の感覚で、2枚通しちゃったんですね。(つまりやり方をすっかり忘れていた。)
エラー音が鳴って、係のおじさんが飛んできました。
私の手元にはすでに吸い込まれたエアトレイン用のカードは当然なく、subway用のだけを無理矢理通そうとしていると勘違いされ。
すでに通したことを一生懸命説明するんだけどなかなかわかってもらえず、$5払えって言う。
私が食い下がってなかなか諦めないもんだから、「じゃぁ、ここに入ってるのか」って聞くから、証拠が出てくるものならありがたいので、もちろん確認してもらってOKってことで、機械を開けてもらって見守っていました。
結局、すぐに見れるところにカードはなかったっぽいんだけど、私の態度に怪しいところがなかったからか、買ったカードが入ってた空のビニール袋が2つあるのを見せたからか、「ここで2枚通すんだと勘違いした」ことがようやく伝わったからなのかはわかりませんが、出てこなかったにもかかわらず、ゲートを開けて通してくれました。
最終的には言葉より熱意なんでしょうかね。だって払ったものは払ったもの。
ピンチを脱し、Eラインに乗り換え。と思ったら、今度は地下鉄の構内に待機していた警察官らしき人に手招きされ、呼び止められる。
どう見たって怪しくはないでしょ〜?と思いつつ、素直に呼ばれるほうへ。
麻薬とかのチェック?でも、カバンを開けることもなく、上着やら、カバンの表面やらを薄っぺらい紙でこすりとり、何かの簡易検査機械っぽいものに通してました。
すべて「pass」って出て、「行ってよし」、ってことに。何の検査か聞いてみたけど、知らない単語が聞こえたのでよくわからず。
後で人と話してて閃いたんですが、放射能検査だったのかも。とりあえず自分が被曝してない(外側だけど)ことが証明されたのなら、一安心。
しかし想定外の時間のロスでした。
宿には17時半到着予定ってことになってたんですが、遅れるかもってことが判明してきたのは地下鉄に乗っちゃってから。
地下で電波届かないので、判明しても事前に連絡することもできず。
Queens Plaza駅でRラインに乗り換え、28St.駅で下車。案の定この駅は階段のみで、スーツケースを持って上る。
約束の時間を15分〜20分過ぎてたかな。地上に出てようやく宿に電話を入れることができました。
今回の宿は、現地の管理人は英語のみってことでした。またもや難関でしたが、自分の名前と、遅れてごめんなさいってことと、今いる場所と、着いたらかけ直すってことと、なんとか伝わったようでした。
1ブロックほど歩いて、宿に到着。
なかなかいい立地でしたが、建物にエレベーターはなくて、階段で2階へ。
初日と最終日だけの問題とはいえ、やっぱりあったほうがラクはラクです。2階の部屋で助かりました。
玄関を開けると、すぐに部屋。狭くはないけどワンルーム。部屋の部分の電気が一括だったので(全部消えるか全部点くかのどっちか)、生活時間のずれる自分としては、ちょっとマイナスポイントでした。
管理人に一通り説明を受け(もちろん英語。外見アジア人でしたが。)、支払いを済ませ、コインランドリーの場所だけ聞いておいて、ひとまず落ち着きました。
ちょっと部屋の中をチェック。今までで一番綺麗な環境でしたが、台所に誰もが使える調味料とかは置いてないことが判明。これじゃ“自炊”といえるようなことはできないな。
深夜の予定まではまだ充分時間があったので、まずは近所でお惣菜を買ってきて、毎度お馴染み機内食の残りのパンで夕飯。
それから、2〜3時間仮眠。寝てる時にルームメイト2人が帰ってきたので「初めまして。今日からお世話になります。」って日本語で挨拶したら、反応がおかしかったので「あれ?」と思ったんだけど、その後2人の会話が韓国語なことに気づきました。
そっか。そういうことか。
その後、もう1人も帰ってきたけど「Hello」って挨拶だけして、とくに結局会話しなかったので、どこの国の人なのかはわからず。
21時過ぎくらいだったか、のこのこ起きて、とりあえずネットつないで到着報告。
ついでにメールもチェックしてビックリ。
総領事館から報復テロに注意、と。いきなりこれか〜。自作自演って知ってるからちょっと呆れましたが。
やっぱりまずい時に来たかなとも思いつつ、逆にいえば“テロ”だとわかる形で攻撃される可能性を演出してるわけで、自然災害の形でやられることはないかな、と。
警戒中で逆に安全かもと開き直り、23時近くに出かけました。「多分真夜中か早朝に帰ります」とルームメイト達に伝えて。
0時頃Bitter End前に到着。初日早々Richieさんのジャムです。
前のイベントがまだ終わってなかったので外で待ってると、偶然にもともさんが通りかかりました。
「ニューヨークほんと好きだねぇ」って言われました。その通りです。すみません。
どうやら、現在は月曜日の夜中1時から、Red LionでもJasonのジャムをやってるようです。
丸かぶりなので行けなかったですが。
しばし待ってたらいつの間にか始まっていたようで、中に入るとホスト演奏で『Put It Where You Want It』やってました。
PAのりょうじさんにもひとまずご挨拶。
常連さんらしきボーカルさんがステージに迎えられ、『What Is Hip?』とか『What You Won't Do For Love』もやってました。完成度高くてかっこよかった。
どうやら本日誕生日の人がいたみたいで、会場にケーキのお裾分けが振舞われました。ちょっと食べたけど日本のケーキとは違う味なのと、これからピアニカ吹くので大半は手をつけませんでした。
実は、今年もつっちーと滞在予定が何日か重なってたので、今日ここで落合うことにしてました。
しばらくして、つっちー到着。
私が呼ばれたのはつっちー到着後だったので、たくさん写真撮ってもらいました。
まずは女性ボーカルでBのブルース。
ソロが回ってきたので2コーラスくらい吹いたら、Richieさんが私を紹介した後機転を利かせてCに転調させて、もう一度ソロ回してくれたのでした。
多分、Bやりにくいのわかってくれてたんでしょうね。
そしてその曲の後、案の定「ソロでなんか吹いて」って言われて、『Feel Like Makin' Love』をちょっと崩してフリーな感じでやらせていただきました。
ギターの人がコード鳴らして参加してくれようとしてたんですが、Richieさんがそれを制してました。
私としては入ってきてもらって全然構わなかったですけどね。
しかし相変わらず会話は何言ってるか聞き取れないことが多いわけですが、ステージ上でちょっとフォーカスを当てられ、「vacationで来たのか」って聞かれて、まぁそうなんだけど、旅行者だということを伝えようとして「日本から来た」って答えたら笑われました。
素直に「vacation」とだけ答えればよかったのかな、頓珍漢な受け答えになってたってことでしょうね。
そしてRichieさんから「最後の曲でもう一度呼ぶかもしれないからまだ帰らないで」(りょうじさん通訳)とのお達しが。
その最後の曲は、高速『Chameleon』でした。リフの部分、指回らなくてちゃんと全部吹くのは諦めました。。。
セッションは2時過ぎに終了。
つっちーと地下鉄で途中まで一緒に帰りました。
あ、つっちーはこの日が(演奏の)マンハッタンデビューになったらしいです。よかった、よかった。
宿に着いたのは3時過ぎ。当然ながらみんな寝てるので部屋は真っ暗です。
電気点けちゃうと部屋全体が明るくなってしまうので、洗面所のドアを手探りで探し、中の電気を点けてドアを半開きに。
微かに明るい状態で荷物整理やら就寝準備等しましたが、お風呂は明日にすることにしました。
ワンルームの場合、定員が少なくなるのはいいのですが、構造上仕切りになるものがほとんどなくて、音が響いてしまうというのはちょっと不便なんだなということを知りました。
果して初の“日本人のいない宿”でも上手く生活していけるでしょうか。